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保育園の父の日のイベントで「いとこのパパ」の似顔絵を描いた私が、父になって思うこと

イベント
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  • 0歳と3歳のパパ
  • 合計6か月間、育児休業を取得
  • ランニングがライフワーク

保育園の父の日の記憶

25年以上前、「らんパパうーた」が保育園に通っていたころ、父の日のイベントで「お父さんの似顔絵を描こう」という時間があった。

クレヨンを手に、先生の説明を聞きながら、友達たちはそれぞれの「パパ」の顔を思い浮かべて絵を描き始めていた。

だけど「らんパパうーた」には、描くべき父親がいなかった。顔を見たこともなかったし、記憶にも存在しないから、描こうにも描けなかった。

そのとき、少し考えて、いとこのパパの似顔絵を描き始めた。

いとこのパパをどうして選んだのか、今となってははっきり思い出せない。たぶん、身近にいて、少し話したことがあり、「なんとなくお父さんっぽい人」と感じたからだと思う。

描き終えて提出するとき、「いとこのパパを描いた」と先生に伝えた。先生が少し驚いたような顔をしたのを今でも覚えている。でも、「らんパパうーた」にとってはごく自然な選択だった。

父親がいなかった「らんパパうーた」にとって、「おとうさん」といえば、その人しか思い浮かばなかった。

「父親がいないこと」は、当たり前のことだった

「らんパパうーた」にとって、「父親がいない」という状況は、特別なことではなかった。
物心がついた頃には母子家庭で、家に父がいないことに疑問を持つこともなかった。

朝起きたら母がいて、夜寝るときは母とふたり。それが日常だった。
友だちの家に父親がいることも、テレビや絵本に出てくる「お父さん」も、どこか別世界のことのように思っていた。「らんパパうーた」の家と違うということはわかっていたが、それを「おかしい」とは感じていなかった。

誰かに「パパはどこ?」と聞かれた記憶もない。たぶんまわりの人も、気を遣ってあえて聞かなかったのだろう。
子どもながらに、その空気は感じ取っていたように思う。

だから、「父の日の似顔絵が描けなかったこと」も、恥ずかしいという感情ではなかった。ただ、「らんパパうーた」にとっての“普通”が、他の子にとっては違うんだと、ふと気づいた出来事だった。

父親像を自分の中で少しずつ作っていった

父親と暮らさずに育った「らんパパうーた」には、「こういう父親になりたい」という理想像はなかった。だからといって、まったく何もなかったわけでもない。

友だちの家で出会うお父さんたち、テレビドラマや漫画の中の父親、そして部活で出会った指導者たち。そうした“身近な大人の男性たち”のふるまいを見ながら、少しずつ、自分なりの「かっこいい大人像」を積み上げていった。

特に印象に残っているのは、部活のチームメイトのお父さんが、汗だくで走って迎えに来た日のこと。驚きと同時に、「うわ、かっこいいな」と思ったのを今でも覚えている。

父親から何かを直接教わったことはなかったけれど、周囲の大人たちの背中を見て、言葉を聞いて、少しずつ「こんな人になりたい」という像ができていった。その集合が、「らんパパうーた」の“父親としての出発点”になっている。

父親になって感じたこと

朝、子どもの寝顔を見ながら「自分は父親になったんだな」と思う瞬間がある。
父親を“持たずに”育った「らんパパうーた」が、いま“父親として”日常を生きていることに、ふと不思議な気持ちになることがある。

そして最近、こんなことを思うようになった。
「自分の父親は、子どもに一度も会えずに、寂しくなかったのだろうか?」と。

あの人の気持ちはわからない。でも、子どもと一緒に過ごす今の「らんパパうーた」から見ると、「こんな日々を過ごしたいとは思わなかったのかな」と問いかけたくなる。

父親の代わりに厳しく接してくれた祖母の存在も大きかった。
食事のマナーや勉強に厳しく、「らんパパうーた」の土台を作ってくれた。
祖母のことは、いつかきちんと別の記事で書きたいと思っている。

「らんパパうーた」が子どもと接するときに意識しているのは、「価値観を押しつけないこと」。
正解は一つじゃない、混沌とした世界だからこそ、「一緒に考える親」でありたいと思う。

「父の日」が、意味を持ち始めた日

昨年、子どもの通う保育園で「父の日の制作」があった。
お皿に、枝豆と焼き鳥、そしてビールジョッキの泡の中から子ども顔を出している。
「お父さん ありがとう」と書かれたその制作物を初めて見たとき、不思議な感情がこみ上げてきた。

うれしさと、ちょっとした気恥ずかしさが入り混じったような気持ち。
「ああ、自分が“父の日の対象”になったんだな」と気づいた瞬間だった。

これまで「父の日」は、どこか他人ごとのような行事だった。
祝う側にも、祝われる側にも属していなかった「らんパパうーた」が、今こうして“もらう”立場になっている。
そのことに、ちょっと驚いている自分もいた。

制作物を見ながらふと、「このクラスにも、かつての私のように、描く相手を迷っている子がいるかもしれないな」と思った。
当時の「らんパパうーた」がそうだったように、「誰を描こうか」と迷っている子も、きっとどこかにいるのかもしれない。

そしてその瞬間、心の中で子どもにこうつぶやいた。
「父親にしてくれて、ありがとう」と。

誰かの“描きたい存在”になること

子どものころ、「らんパパうーた」には「描くべき父親」がいなかった。
だからこそ、今は自分が「描かれるかもしれない父親」になったということが、なんだか不思議で、少し気恥ずかしい。

もちろん、子どもが将来「らんパパうーた」の似顔絵を描くかなんてわからないし、描いてくれたらいいなと思う程度。
そこに特別な希望があるわけじゃない。ただ、描きたいと思ってもらえる存在であれたら、それでいい。

父親になった今でも、「父親とはなにか」という問いには明確な答えが出せないし、答えが出るものでもないと思っている。
でも一つだけ確かに言えるのは、「子どもを一人の人間として尊重すること」。
それだけは、ずっと大事にしていきたいと思っている。

そしてこれからも、子どもと一緒に日々少しずつ成長していくんだと思う。

かつて似顔絵を描いたあの保育園の教室で、クレヨンを手に迷っていた小さな私に、今ならこう声をかけてあげたい。
「いつか君も誰かの“描きたい存在”になるよ」って。

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